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2016年 08月 20日

紙齢を継ぐ


紙齢を継ぐというお話を
昨日聞いた。

新聞の右肩には
号数が記載されている。

例えば今日の朝日新聞は
46788号だ。

毎日発刊する度に
号数は上がっていく。

紙齢を継ぐというのは
毎日発刊を続けるという意味であり
意味の背景には
新聞記者の気概や志が
込められている。

紙齢を継ぐ
というのは
永遠に向かって
日々を送り
翌日へと渡していく
という事だ。
大きなミッションや大義があれば
日々の労苦など
吹っ飛ぶという事を
表明しているのだと思う。

事実を語りつつ
叙情を語るというのは
僕の好きなレトリックで
ゆえに
紙齢を継ぐ
という言葉も
お気に入りになった。
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# by kouji_kotani | 2016-08-20 12:14 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 20日

LIVEアルバム


LIVEアルバムを購入するのは
お買い損な気がしていた。

若い頃は可処分所得というか
お小遣いというか
自由に使えるおカネが
とても少ないので
レコードを買うにあたっては
何度も何度も考え
品定めをした上で
買うべきレコードを
決める事になる。

レコードのLIVE版は
損な気がしていた。

スタジオで
何度もテイクを取り
編集し
労力を注いで完成した
オリジナルアルバムが
買うべき商品であり
LIVE会場で収録された
LIVEアルバムは
商品としての価値は
少ないとしか思えなかった。


ところがどうでしょう。
今はどうでしょう。

例えば
ボブ・ディランのLIVEアルバムには
LIVEでしか味わえない感覚か満ちていて
とても愉しい。

動きがあるのがLIVEで
静止した成分が混在するのが
オリジナルアルバムだと
考えるようになった。

一期一会というか
ボブ・ディランのオクターブあがる
音階はなんとも愉しく聴けて
会場が照応したり
わーわー言うざわめきが
重なると
いいなあと思うようになった。

五輪の今年
LIVEというクレジットを
何回か見た。
五輪のLIVEも
とても愉しい。

五輪ももう終わり。

今年の夏の盛夏は過ぎた
と思う。



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# by kouji_kotani | 2016-08-20 09:53 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 12日

路地と警官


自転車に乗って
吉祥寺にある
プールに行った。

このところ時間があれば
プールに行って
ひとしきり泳ぐ。

1キロくらいを
ゆっくり泳ぐと
とても気持ちが良い。
カラダに良い事は
大概が気持ち良いに
違いないと思う。

iPhoneで
Apple musicを
イヤホンで聴きながら
吉祥寺のプールに
向かう。

ボブ・ディランのライブだったり
ジョン・レノンの懐かしい曲だったり
プールサイドに向かう道すがらに
聴く曲は
ひだまりのように
どれもこれも
心地よく聴ける。

吉祥寺のプールに向かう途中
気になる
風景がいくつかあって
坂のある路地もそのひとつだ。

傾斜のある路地に
ひとけは無くて
路地のもつたたずまいは
遠いむかしに
いざなうかのようだ。

そんなこんな
ゴキゲンな気分で
音楽を聴いて
プールに向かっていたら
警察官に
はい止まりなさい
と突然に立ち止めをくらった。

危ないからねイヤホンはずす
いいですか
イヤホンいけない
はいはずして
と諭された。

盗難車かどうか
取り調べ中だから
ちょっとだけ時間もらいますよ
と言われ
自転車に貼ってある
警視庁のシールの識別番号を
トランシバーを使って
中央司令塔みたいな先へ
読み上げ
やり取りを始めた。

盗難でない事がわかりました
イヤホンは危ないですから
イヤホンはずして自転車乗って
ください
いいですね
と何度も諭され
解放された。

炎天下
なんだか茶番劇のような
やり取りがあって
警察官の目は
笑っていた気がする。

プールでひとしきり泳ぎ
今は横になって
シンディ・ローパーを聴いています。
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# by kouji_kotani | 2016-08-12 18:55 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 10日

夏の終わりの兆し、今年は

取り返しのつかないこと
カラダや
ココロが思い通りに
ならないこと
坂を転がること
陽が陰ること
選ばれないこと
置いていかれること
唇を噛みしめること

つまりは
やるせないこと

やるせない
さまざまなことを
どう受け止めて
どういなして
どう折り合いをつけるのか。

歳を重ねるということは
叩けばホコリのでる身に
なるということだ。

かさぶた
があるということだ。

歳を重ねるうちに
血が流れることもある。

どくどくと
血が流れる。

時間が経つにつれて
血は止まり
かさぶたが出来る。

止血して
かさぶたは出来る。

しかし
かさぶたは
何かのきっかけで
剥がれる。

止まったはずの
血は再び流れる。

血は滲み
血は再び流れる。

真夜中の午後2時半。

真夜中にそんな
やるせないことを思った。

僕は呆れかえる位に
元気です。
イヤになる位に
本当に元気。

しかし
元気であることと
やるせないことを
考えるのは
また
別の話。

かさぶたを
抱えながら
過ごしていく
ということ。

取り返しのつかないこと
カラダや
ココロが思い通りに
ならないこと
坂を転がること
陽が陰ること
選ばれないこと
置いていかれること
唇を噛みしめること。

今日の午前中に
雨が降った。
雨が降り
風が吹いた。

その瞬間に
夏が終わりに
向かいはじめたと
僕は思った。

夏の終わりの兆し。

それも少し
せつない。

…ということを
ちょうど一年前に書いた。

一年前の午前中に向かった先や
お会いした方の事は
覚えている。

一年前の今時分は
ある種のお祭りのような
只中にいた。

それを考えると
現在の平穏な感じに
安穏としているのは
汗かいてんのかオレ
みたいな気もする。

それにしても
今年は
これっぽっちも
夏の終わりの兆しを
感じる事はない。

今年の夏はまだまだ
続くのでしょう。

と書き終えたら
新幹線の窓に雨が
あたってきた。
今年も雨が降って
それは夏の折り返しを
含んでいないとは
言えないかもしれない。



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# by kouji_kotani | 2016-08-10 22:02 | Trackback | Comments(0)
2016年 08月 07日

夜更けの自転車の鼻歌


夜更けだった。

静かな住宅街を歩いていたら
自転車に乗ったお兄さんが
くるりの
ばらの花
を歌いながら
走り抜けていった。

月も出ていたし
星も出ていたし
その時は
寒くもなく
暑くもない
季節だったので
夜更けに
自転車に乗っていたならば
鼻歌のひとつふたつが
でても
おかしくないよなあ
と思った。

紙の束をずっと輪ゴムで止めていると
輪ゴムが伸びきってしまうように
とても
ゆるやかで
緩やかで
伸びやかで
そして
眠気をいざなうような
夜更けの自転車の鼻歌。

だし巻きたまごに
刻印されて文字が
焼きつくように
僕の中の記憶に
夜更けの自転車のお兄さんの
鼻歌が
焼きついた。

穏やかで
伸びやかで
そして
眠気をいざなう
感覚は
夜更けが似つかわしい
のかもしれない
と思ったりする。
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# by kouji_kotani | 2016-08-07 20:14 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 24日

八咫烏


JALに乗って海辺に行った。
海辺から車に乗って
1時間半ほど先の
熊野古道にも行った。

熊野川は
普段はとても
穏やかなのだが
その川幅はとても広く
荒れて
増水をすると
川幅いっぱいに水は満ち
氾濫をする。

熊野古道に沿う山や川は
神であると信じられている。

3本足が特徴のカラスは
八咫烏(やたがらす)といって
神の化身である。

海辺の近くの宿に泊まって
宿の近くを
朝方散歩した。

浜にカラスがいた。
海水浴に来て
食べ残した
菓子類を
カラスはつついてた。

畦道の上を飛翔する
カラスも見た。

紙飛行機みたいに
羽を動かすことなく
揚力を楽しむかのように
飛翔していた。

足が3本足あれば
思わず見入るだろうし
何かを感じるだろうな
と思った。

八咫烏はサッカー日本代表の
エンブレムになっていることも
はじめて知った。

帰りの飛行機もJAL。
スマホで
ビリー・ジョー・アームストロングの
甘いバラードを聴きながら
半分午睡していたら
盛夏の青空が
飛行機の窓から見えた。
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# by kouji_kotani | 2016-07-24 18:38 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 20日

結果論


ごはん食べに行って
メニューに
じゃこサラダと出し巻き卵が
あったとする。

じゃこサラダにするか
出し巻き卵にするか
ふんふん考えながら
結局は
冷やしトマト
にすることって
とても多い気がするのです。

何かを選ぶ方は
案外としっかりしていなくて
きまぐれに選び
何かを選ばれる方は
気が気でないし
たまんない。

僕がじゃこサラダだったら
なんで
冷やしトマトなんだよ
と猛烈に思うに違いないし
どうすれば
選んでくれるんだよ
と途方にくれるにも
違いない。

そういう
もんなんじゃないのか
と諦念するのは
性に合わないし
かといって
選ばれない結果に
変わりもない。

とっても面白くない話に
なっていくわけです。

せめて
冷やしトマトに奪われた
じゃこサラダの切なさ
は忘れてはいけない
という気がするが
忘れてはいけない
だけでいいのだろうか。

オーダーが
全てじゃないんだよね
と考えた方が
良いのかもしれない。

じゃこサラダを
食べたいなあ
と思ってくれている
人はいる。

食べたいなあという
遠くの聞こえない声は
聞こえない。

聞こえないから
ないわけではない。

聞こえないだけで
あるはある。

その聞こえない声を
耳傾けて
聞く方が
救われる気がするし
健全なココロモチになれる
気がする。

…とか
ここまで書いて
駅のコンコースの階段を
踏み外してしまいました。

大丈夫ですかと
転がった携帯を
拾ってもらい
差し出してもらって
大丈夫ですかと
二回くらい尋ねられた。

バツわるく
すいませんと
謝まりました。

まさか
こんなオチになるとは。

でも
こういう
予想外の展開も
あるんだよね。
それは
それで
救われる気になる。

予想外なことって
たくさんあるからね。

いちばん大嫌いなのは
結果論で
ものを言う奴なんだよな。

結果に至る迄の過程を
すっ飛ばすような
もの言いは許せん
気がする。

やっと氷解しました。
僕は結果論のもの言いに
アタマにきて
これを書いてたんだ。

と、そんなこんなです。

転ばないように
携帯を見ながらの
階段の上り下りは
やめましょう。
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# by kouji_kotani | 2016-07-20 21:39 | Trackback | Comments(2)
2016年 07月 13日

再掲 夏休み


大学時代に
家庭教師のバイトをやった。

大学の同級生から
夏休みに
帰省する間
家庭教師のバイトをやってくれないか
という相談があった。
高校一年生の女の子の家庭教師です。

夏休み期間だけの家庭教師
のピンチヒッター。

僕はひとつ返事で請け負った。

夏のひざしが
じりじりするなか
スクーターにのって
女の子の家まで行った。

問題集を使って
勉強をはじめた。
わからない箇所を教えた。

ご家庭には
勉強が向上することを願っている
母親がいるわけで
そのことを思うと
僕は僕なりに一生懸命教えた。

その年はとても暑い夏だった。

夏休み最後の週。

学校の宿題がたまって
困惑しているという話を
聞いた。

2日間ですべて完了する
スケジュールを僕たちは組んだ。

計算問題を解いている間
僕はスケッチブックに花の絵を
デッサンした。

美術の宿題は僕が肩代わりするから
計算問題は自分で解いて。

あれはこうして
それはこうしよう。

中華料理の厨房みたいに
手を休める事なく
ふたりで手分けをして
宿題をこなしていった。

デッサンのモチーフである花は
母親と妹が買ってきた。
夏の花だ。

アウトラインは
鉛筆で僕が描き
彩色は
妹にやってもらった。

うすく色をかさねた。
水彩絵の具に
鉛筆がにじんだ。

宿題の完成を記念して
ケーキパーティが行われた。

僕が女の子に
夏休みの間
かしてた
音楽のレコードを
かえしてもらった。

バイト料をもらって
スクーターで
家を後にした。

帰りの夕焼けが赤かった。
晩夏の夕焼けだ。

スクーターの風が気持ちよかった。

川にそった道を走った。

おおきなくすのきの葉が
揺れていた。

くすのきは常緑樹。
ずっと緑である樹木。
冬も春も秋も。そして夏も。晩夏も。

そうして
夏休みは終った。

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# by kouji_kotani | 2016-07-13 17:36 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 06日

スピード


スピードはひとつの価値である。

クール宅急便など
当たり前のように
宅急便というサービスが
日常に浸透しているので
宅急便の底力はわからないが
宅急便のスピードは
ものすごい価値だと思う。

短時間でものが届く為には
生産者や工場や出品者や企業が
商品を管理して整理して準備して
商品を出す
という事が出来ないと
そもそも
成り立たない。

次に
商品を渡す、移動させる、運ぶ、
手渡す
という事が円滑に出来ないと
成り立たない。

出す、運ぶ、届ける、
という一連の作業が
きちんと出来て
宅急便のスピードは
成立する。

ヤンキースの内野手が
守備につくと
肩ならしで球を投げ合う。
その強肩さや
球の伸びは
ヤンキースならではの質だ。


宅急便というスピードを
伴う作業を成立する事によって
生産する側も、流通する側も、
配送する側も、
宅急便というスピードを
伴うサービスがなかった頃に
比べて
格段のチカラをつけざるを
得なくなった。



宅急便というスピードを伴う
サービスへの志向が生まれた
ゆえに
ヤンキース並みに
ひとつ上の
スピードに向かって
生産者、配送者の
チカラが上がった。
上がっていくことを維持した。
さらなる改善を図った。


飛行機や新幹線や山手線は
スピードをサービスとし
時間厳守と安全とを
両立させながら
質を保つ。
保つ為の
改善や気づきや品質向上を
毎日毎日履行し
履行を明日も続ける。


のんびり移動したい
というニーズは
それはそれで
構わないが
飛行機や新幹線や山手線は
時間厳守と安全運行の両立を
わき目もふらず
遂行する。

それは
スピードは価値だ
というビジョンなり信念が
ないと出来ない。

スピードを
ぞんざいにするのと
スピードを
価値だと考えるのでは
毎日毎日の考え、用意、改善、
準備、働き方、判断基準、
が顕著に違ってくる。

そういう当たり前の事を
あらためて考える。

そんなこんなを
考えているのも
今、まさに、
飛行機に搭乗しているから
なのです。




スピードとゆったりとを
両立できたら
最高なんでしょうね。







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# by kouji_kotani | 2016-07-06 21:12 | Trackback | Comments(0)
2016年 07月 03日

カレーとプールサイド


クラシックが流れる
カレーライス屋を知っている。

カウンターをあづかるひとが
一人いて
奥には厨房をあづかるひとが
一人いる。

その店の
羊のキーマカレーは
とても美味しい。
美味しいだけでなく
スピーカーからは
クラシックが流れる。

美味しくて
落ち着くお店なのだ。

厨房をあづかるかたが
オーナーで
オーナーがクラシック好きなのだ。

夜遅い時間に
僕は遅い夕食を食べていた。
閉店間際に
ピアノがながれていた。

ベートーヴェンである
と教わった。

ベートーヴェンの
何なのだったのだろう。
ピアノソナタの何なのだろう。

閉店間際に
カレーをスプーンで
すくいながら
ピアノソナタを聴いていると
夜がふけていく
しんしんとした
心持ちになった。

真夏日となった今日
あわせたかのように
屋外プールが解放された。

屋外プールで1キロ泳いだ。

照り返すプールサイドは
ホックニーの絵のようだったし
プールの中に
太陽の光が差し込み
プールの底は
ゆらゆらしていた。

足が届かない
深さの屋外プールには
冷たさが保たれていた。

プールサイドに立つクスノキの
葉は風に揺れて
背景に広がる夏空をみていると
真昼時なのに
しんしんとした
気持ちになってきた。

夏の光で空が満ちていた。

夜だけでなくて
昼もしんしんとした
気持ちになるんだと思った。



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# by kouji_kotani | 2016-07-03 19:30 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 27日

テナーサックス


スカイオーディオを聴きながら
本を読んでいた。
ながらという事は
普段あまり行わない。
ひとつひとつ対応することの方が僕は多い。
音楽を聴くなら聴く
本を読むなら読む
というタイプなのです。

飛行機のスカイオーディオを聴きながら
本を読んでいたら
ソニー・レッドが流れてきた。 

ハードバップ・ジャズのアルト・サクソフォン奏者。
ソニー・レッドのサクソフォンはのびやかで
まっすぐで
ヤンキースタジアムの
芝のように美しく
宇治茶のようにすんでいて
夜間飛行の下に広がる
東京の夜景のように
きれいなのです。

サクソフォンの音色は  
いいなあと
思っていると
大きなブレスをついたような
心持ちになりました。


世界経済市場が荒れようが
荒れまいが
大きなブレスをつけるような
瞬間はあって
そのひとつは
テナー・サックスフォンの
のびやかな音色を
聴くことだと思いました。

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# by kouji_kotani | 2016-06-27 20:42 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 24日

走りながら考える


走りながら考える

という話を聞いた。

走るということは
動くということを
意味するのだと思う。

動きながら考える
という意味だと思う。

普通、
考えるのは
机について
頬づえをついて
ノートやらパソコンを前にして
考える。

動きながら考えるのは
そもそも
動く必要があるからだ。

野球選手がそうだ。

守るにあたって体を動かさないと
守りにならない。

しかし漫然と動いても
守りにはならない。
動きながら考えるから
守れるわけだ。

それはとても大切な事に
思えた。

飲みにいくと
相手のグラスが空いているのに
気がつかない事が
よくある。

相手も動き
自分も動き
話が飛び交い
つまり動いている中で
相手のグラスが空いている
空いているグラスにビールをさす
と考えが及ぶことは
存外できないことだ。

できるようでできない。

ビールの間合いだけではない。

状況は
事態は
結果は
日常は
情勢は
常に動く。

考えたいから
少し待ってくれ
と言ったところで
状況は
事態は
結果は
日常は
情勢は
待つわけはなくて
動く。

動くものを相手に
動きながら考えていく
しかない。

動きながらではなく
走りながらという言い方が
面白いと思った。
より短い時間刻みで
動きながら
考えているのだろうと思った。

走りながら考えてますので

と昨夜言われ
それを聞き
とてもいいなあとお次第です。
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# by kouji_kotani | 2016-06-24 08:37 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 17日

風の道


鹿児島奄美大島には
風の道というものがある。

島の中を強い風が
吹き抜けていくので
風が吹き抜けていく方向にある
森が刈り取られていく。

奄美に繁殖する杉の枝は
風によって
幹から抜け落ちていく。

まるで木や枝や草を
人工的に
刈り取ったかのように
風が吹き抜けていく方向に
道ができる。
それを風の道という。

自然がつくった道なのだ。

サクラツツジは毒性があるので
奄美大島の鹿は
サクラツツジを喰むことはない。
サクラツツジは奄美で繁殖する
事になる。

繁殖していく
サクラツツジの花弁は
風に吹かれるので
小さくなる。

常に触れらると小さくなるのが
自然の摂理なのだそうだ。

盆山も
手をかけて
枝や幹を触れていくと
小さくなっていく。
それと同じで
常に風に触れられ揺れていく
サクラツツジの花弁や葉は
時間をかけて小ぶりになっていく。

触れられ過ぎると小さくなる
というのは
何かの暗喩みたいだが
そういうものらしい。

アメリカインディアンには
7 Generattions Walk
という考え方があるらしい。

7世代先の子供達の為に生きよ
という
考え方というか
教えみたいなものだ。

せいぜい3年間単位の事しか
考えない僕にしてみれば
とても長い時間のレンジを
想像する事は難しいが
風に吹かれて花弁が
少しづつ小さくなっていく
奄美のサクラツツジの様は
7 Generattions Walk
の視点からでないと
見えてこないのかもしれない。
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# by kouji_kotani | 2016-06-17 10:04 | Trackback | Comments(0)
2016年 06月 15日

ブログ

エキサイトブログを使って
10年以上が 経過した。

ウェブ上のログをブログと言う。

ログは足跡だ。

降雪した後の東京都内を歩くと
足跡が残る。
車の轍や複数の人の足跡が重なり
白い雪は墨汁が染みたかのように
泥に汚れ
とてもきれいとは言えない
足跡が残る。
それが東京の降雪後の足跡の様だ。

僕がウェブに残した足跡も
きれいなものとは言えず
そもそも
誰も省みることもなく
墓標のようにあると思う。

かなしいかな
お気に入りのブログは
次々と閉鎖していった。

日が暮れると
遊び場からそれぞれの家に
子ども達は
戻っていく。
最後まで残った子どもは
広場の上空にある
星のひとつふたつを
見ることになる。

そんな
取り残された感じが
しないでもない。

備忘録としての
書き留めだったりもする。

肩や首を回してからだのこわばりを
ほぐすように
折につけて
なにかを書き記す事で
折り合いを
つけている気もする。





僕は
思い出したように
続けていきますので
これからも
お腹がすいても
すかなくても
おにぎり握るように
やっていきますので
道草してくださいね。


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# by kouji_kotani | 2016-06-15 23:30 | Trackback | Comments(4)
2016年 06月 12日

ライム

ライムのケーキを食べた。
ライムグリーンの皮を齧りながら
ケーキを食べた。

小さなスプーンで
携帯片手に
業務連絡をしながら
スプーンを止めたり
スプーンですくったり
いきつもどりつしながら
ライムのケーキを食べた。

ライムの味がひろがって
美味しいと思った。

ケーキを食べたあとで
いつものように
アップルミュージックを開き
シカゴを聴きながら
のびをうって
よこになった。

シカゴは
農村部の古い納戸みたいな
音楽だと思った。

このまま
泥のように寝れると
いいなあと思いながら
ごろごろしていた。

口の中のライムの味を
反芻していると
重たい腰をあげようと
いう気持ちになった。

動かなくなった
ブリキのロボットを
バコッと叩くと
数秒動く時があるが
そのバコッという
同じ働きを
ライムは備えているような
気がした。

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# by kouji_kotani | 2016-06-12 10:56 | Trackback | Comments(0)