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いいたいことは少しある

seiyaku.exblog.jp
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2010年 10月 09日

blog

Webにlogがくっついてblogができた。
Weblogが短くなってblogになった。

ログハウスのlogは丸太の意味だし
ログに残るのlogは記録の意味だ。
先程、辞書を引いたらlogには航海日誌という意味もある。

英語は本当に面白いというか不思議というか
丸太と航海日誌が
ひとつの言葉でくくられている。

日本語だと丸太と航海日誌は全く共有するものは無い。
言語の違いによる、言葉の守備範囲の違いは面白いと思う。

bがあたまにくっついてlogは
blogという言葉に広がった。
ログを残す。Web上に個人の書き込みを残すことが可能になった。

ネットは拡がりと多数のひとへの開放を可能にした。


blogはしっかりとした論を世に問うものもあれば
航海日誌のように定点観測のようなものもあるが
ゆるやかな自由のもと思うがままに綴るものに僕はなれ親しみを感じている。


僕は見ず知らずのヒトたちのblogを読み
見ず知らずのヒトたちに向けて時おりblogを書く。

山あいのホテルには
朝の空気が漂うみたいに
雷鳴のような強烈な何かではなく
訪れる朝のような
朝の空気のような
肌あいをblogから感じとる。
その肌あいがいとおしくて仕方ないときがある。

オープンソースにログが刻まれていく。
手にはとどかない誰かの
ぬくもりと肌あいを感じる。






見ることの出来ないヒトの幸せを願う。
ごく自然なキモチとしてそういう感慨を抱く。それは、小説のようなフィクションに抱く感慨に似ている。


blogは本質にフィクションを内在している気がしてならない。







数年前のblogブームは去り
blogはソーシャルネットワークにバトンを渡した気がする。記号の受け渡しがスムーズになった。しかし、そこには、ぬくもりを含む保温は無い気がする。


情報は常に上書きされていく。
blogはすぐに古文書になってしまう気がする。
上書きをするということは、消すことではなく、積層の下の段に埋没させるということだ。

blogを通じて

上書き

という概念を思いしる。
古新聞を誰も開こうとしないのに似ている。
裏返していえば、blogは一期一会のようなものだ
僕はそう考える。


上映されないプログラム情報が記載されている、ぴあのバックナンバーを読むと、ある種の切なさとイトオシさを感じる。

書いたはしから、失われた過去になる。しかしながら、消えるわけではない。ログとして埋没し、それをピックアップすることは容易に出来る。

そんなことを考えた。明日は仕事をします。

【今日のダイエット】
ちょっとリバウンドしてきた気がする。やばいっす。

by kouji_kotani | 2010-10-09 22:12 | Comments(0)


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