東日本大震災により
職を失った女性は
例えばミサンガをつくっていたりする。
なにかしら
手を動かすということは
とてもよいことなんだろうけども
ミサンガづくりが長期化すると
これでいいのだろうか
と考える。
そんなことをひとから聞いた。
これからの
生計のことも気になる。
働きたいとも思う。
生計はお金を稼ぐことだけど
生計をたてたいということと働きたいということと
は同じではないような気がする。
たいへん暑い日々。
わざわざ外にでるのはどう考えても不合理だけど
『働くこと』ということが牽引して
猛暑炎天下にひとをひきだす。
もちろん『働くこと』だけではなく
『友達とあうこと』『フェルメールをみにいくこと』『ひつまぶしを食べること』『オープンキャンパスにいくこと』などなど
数えきれないたくさんの
猛暑炎天下にひとをひきだす『牽引すること』は
ある。
でも、割合としては『働くこと』がかなりをしめていているような気がする。
ごろごろ家のなかでしていたいのに
牽引と行動を規制するものがあるからこそ
猛暑炎天下にひきだす。
そう考えると、
牽引、規制を内在する『働くこと』は
かなりの影響力をもつことに気がつく。
で、働きたいというのは
生計をたてたいということだけでなくて
『牽引、規制に依り添いたい』
という気持ちを充たすからだ、と思えるのです。
そんな感じ。