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いいたいことは少しある

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2012年 12月 13日

粛清

最近、スターリンについて書かれた本を読みました。
その本のなかに、粛清という言葉が出てきて、僕は、粛清ということをはじめて理解した気がします。

スターリンは自分の言うことを聞かないひとを
粛清した。
片っ端から抹殺した。
統治するにあたり
抹殺をして
さらに抹殺をして
さらにさらに抹殺をして
全員を言うことを聞かせる。スターリンはそういうことを考え、実行を重ねた。

とんでもない人数を抹殺した結果、
スターリンは統治を強化できた。

たくさんの犠牲者のうえに統治がある。それが粛清なんです。





粛清という方法以外では
統治は実現しないのか?

家のどこかに
非暴力で独裁者を追放し
かつ非暴力で統治を可能とするための教科書
があるはずなんです。

買ったまま
放置していたので
非暴力でどのように
独裁者を蹴落とし
どのように
統治していくのか
まったく理解していません。



いずれにせよ、ひとをたばねるために
粛清はたいへん有効なんだと思う。
みぎむけ右!と大きな声をあげる。
大きな声をあげるという
強引な、絶対の指令は
ひとをたばねるために
とても有効なんだと思います。



ひとをたばねるということは
程度こそ違え、独裁者の粛清を必要とする。
僕は、勿論、独裁者の粛清はキライなので
独裁者の粛清を必要とする
ひとをたばねるという行動は
そもそもなくて良いのではないかと思うのです。



蕎麦湯の割りばしは
ぎゅうぎゅうにたばねてある。
あの、ぎゅうぎゅうのたばねてある状態は
美しいとは思えないし
深い感動もない。

強引なたばねた状態であり、それ以上でもなんでもないでしょう。

月見草が群生しますよね。
あのならび、あの緩やかな群れ
そのほうが
絶対によいと
思うんです。


ひとをたばねるのは
やめる。
ひとをたばねるのでなく
ひとがグロスとなり借景をつくる。


それが理想だと思うのです。

by kouji_kotani | 2012-12-13 23:19 | Comments(0)


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