勝ったり負けたり
喜んだり悔やんだり
晴れだったり雨だったり
まあ、するわけです。
例えば
喜んだり悔やんだりするのは
かなりの場面、かなりの回数、かなりの程度で
ワタシという『ひとりだけ』でない。
ワタシは、基本、仕事の日々を送っていますので
ワタシひとりではなくて、ワタシのまわりには仲間や同僚がいる。
ワタシと
ワタシのまわりの人たちと
喜んだり悔やんだり
晴れだったり雨だったり
するわけです。
すると
例えば
悔やんだり雨だったりするようなことが発生すると
『嗚呼、ワタシは悔やんだり雨だったり凹んだりしたのでそういうモードだよな〜』と思ってもですね、
ワタシ以上に
悔やんだり雨だったり凹んだりしているワタシのまわりの仲間がいると
『悔やんだり雨だったり凹んだりするのはヤメナよ!』と
悔やんだり雨だったり凹んだりしたいはずのワタシが
『語ったりする』わけなんです。
これって
チャップリンの街の灯だったと思うけど
その映画のメインテーマなんですよ。
すごいこどもの頃に観て
なるほどね
と思った主題(メインテーマ)が
いまだに
そういうもんだよな
と反芻したり、考えたりする。
くどいですけど
『嗚呼、ワタシは悔やんだり雨だったり凹んだりしたのでそういうモードだ』と思ってもですね、
ワタシ以上に
悔やんだり雨だったり凹んだりしているワタシのまわりの仲間がいると
『悔やんだり雨だったり凹んだりするのはヤメナよ!』と
悔やんだり雨だったり凹んだりしているはずのワタシが
『語ったりする』
ということは
まことにメインテーマだと思いますね。
ひとはそうやって治癒するような気もします。
そんな感じね。