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2015年 12月 10日

幸せについて


夏目漱石は国費でイギリスに行き
文学を研究した。
明治時代の人らしく
遥か遠くイギリスの地で
身を削って
文学を研究した。

日本を代表する文化人である
夏目漱石が
文学を考え
人の幸せとは何かを考えた。
その成果は文庫で
読む事が出来る。

人の幸せは
好きな事をして働く事である。

身を削って学問をおさめた
夏目漱石の
幸福論は
極めてシンプルである。

好きな事を職業として
働く事ができれば
大概の憂いは晴れ
幸せになれる。

幸せになりたければ
嗚呼自分の天職は
これなのか
と言い切れる仕事に就く。
天職と思えるほどに
自分に相応しい仕事で
生計を立てる事が出来れば
人は幸福になる。

それが夏目漱石の結論だ。

それでは
天職だと言える仕事をしている
人はどのくらいに
いるのだろう。

紆余曲折は人の常。

たどり着いた先で
人の縁を結び
働く。
それは天職とは言えないだろう。
人の縁が
働く上での支えであり
夏目漱石の言う
幸福になるための仕事とは
程遠いだろう。

朝方にネクタイを結び
歯を磨き
靴ひもを結び
働き出る。
その行き先の
仕事場は
天職と言えるのだろうか。

何かを飲み込み
何かを割り切り
何かを信じ
何かを諦め
人は働く。

夏目漱石の幸福論とは
程遠いにもかかわらず
何かを飲み込み
何かを割り切り
何かを信じ
何かを諦め
カラダを騙しつつ
働くことに
幸せは
まったく無いのだろうか。

幸福論の論旨から外れた
仕事場の仕事で働く人は
全て幸せから
はじかれるのだろうか。

そんなことはないだろうと思う。
紆余曲折して
ため息のひとつふたつみっつ
ついだかゆえに
幸せから見放される。
そんなこともないだろう。
寒ければ厚着をして
暑ければ薄着をして
おはようございますと言い
ありがとうございますと言い
おはすみなさいと言う
そんな毎日は
幸せから見捨てられた
ありようなのか。
そんなこともないだろう。

なんでもない日に
幸せはないのだろうか。
そんなこともないだろう。

なんでもないけれども
それだけで
もう充分だと思う
そういう瞬間も
多々あるでしょう。

わたしはひとりでない
ということは
福音だと思う。

おはようございますという彼がいて
おはようございますという彼女がいて
ありがとうございますという彼がいて
ありがとうございますという彼女がいて
おやすみなさいといって別れる彼がいて
おやすみなさいといって別れる彼女がいる。

それだけで
充分なんだと思える。

by kouji_kotani | 2015-12-10 23:55 | Comments(0)


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