よく見ればなずな花咲く垣根かな 松尾芭蕉
清貧の思想は、少し前に流行った本ですよね。
昨日の午前中、皮膚科に行き、待ち時間の間、(小一時間)
皮膚科に置いてあった清貧の思想を
飛ばし読みしました。
芭蕉の歌心と、外国の歌心を比較していました。
外国の歌心は、
なずなを手にとり、
匂いをかぎ、
五感を通じて、
創造者(神)や自然について洞察する。
それが詩人の仕事である。
ところが芭蕉は、見る。
見ることを詩人のやるべきことと考えている。
その違いについて、本は論じてました。
ある種「無私のこころ」みたいな話です。
春のさかりに、桜を無視して、
雑草の小さな花を、
垣根の隙間に見つける。
この、垣根の隙間はいいなあ。
アスファルトの割れ目から、
雑草が繁殖していますよね。よく見かけません?あんな感慨。
なんだかわかる気がする。
視線が、小さな、先にあるんですよね。
それは、研鑽して手にいれる視線でしょう。
そういう研鑽って
いいなあと思います。