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2008年 10月 25日
かさぶた
社会人になったばかりの頃に、
会社の先輩から

そのうち毎日が日曜日になるからさ
といわれたことがある。

その当時、僕は 毎日が日曜日になる
ことは絶対にありえないと思っていた。

平日(働く)と、日曜日(休む)は、
まったく別のものだとしか
考えられなかった。

働くということは、
自分の意見や考えかたを殺すこともする。
そう理解していた。

ささいなことで、ささいだからこそ、心底凹み、傷をおった。
本意でない行為や、嫌な付き合いへの参加など様々に翻弄もされた。

その代償として
給料をいただくのだと思っていた。

休日は、傷をおった傷口が
かさぶたになるために必要な時間だと思っていた。

毎日が日曜日だなんて!


と思っていた!











ところが、どうよ、毎日が日曜日とまで言い切れるわけではないが
働くことが苦痛でなく、むしろ、あたりまえのような時間に変質し
働く行為を通して
なにか自己の実現を目指しているような気持ちになってきた。
マスローの欲求の階層理論
みたいな感じが
働くことの意味がわかるようになった。


先週末
マスローの「完全なる人間」を斜め読みしていた。

非常に頻繁に生ずる志高経験

という言葉があり、くさびがささった。
成長(自己実現)をうながす要因は何かを論考した箇所で
いくつかの要因を列記してある。
そのうちのひとつである。

非常に頻繁に生ずる志高経験


A Question Of Honour



音楽でいえば A Question Of Honourでしょうね。

国旗を背に、高い志をもちながら、戦う。

僕はテレビ朝日のサッカー中継を何度となく観て
志高経験を理解してきた気がする。

同時にそれをかさねるように 職場でも
志高を感じることが増えてきた。
男だから、ここは、戦う!
みたいな感じ。それは志向な経験であり
勝つ負けるが楽しくてしかたないのです。

毎日が日曜日になる

ことなどありえないと思っていた僕が
歳をかさね

志高経験、志高共有する仲間、志高の結果に
喜びを感じるにいたった。
平日は日曜日に変質したように思える。


毎日が日曜日である
ともいえる気がしてきた。




































マスローの欲求の階層理論は


かさぶた

忘れていないだろうか
と最近思っている。












休日、



傷口がかさぶたにかわるまでかかる時間

じっと待つ時間

その気分、そのたゆたった感じ、そのせつなさ。

それって何かとても大切なものでしょう!


かさぶたになるまで

そこは文学の領域であり
こころのおくがうずく領域である。

オトナはあぐらをかき
かさぶたを忘れる。
しかし、何かをきっかけに、かさぶたを思い知る。

そんなことを最近少しだけ考えています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

意図的なかさぶたは

どびきり偉いかたにあって、ほぼ、さしで話をする

どきどきするような場に出かける


ということではないかしら、ということについても
少し考えたりするなあ。


傷口からかさぶた

とは違うが

緊張から弛緩

が体験できるからだ。
それ結構重要でしょう。

そんな感じ。









by kouji_kotani | 2008-10-25 14:22 | Trackback(1) | Comments(0)
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