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2009年 04月 18日

Tommy Bolin トミー・ボーリン

Tommy Bolin

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本名トーマス・リチャード・ボーリン。アメリカ合衆国アイオワ州で生まれる。

12歳からドラムを始め、その後ギターを弾き始める。オルガンも経験していたとされている。

いくつかのアマチュア・バンドを経て、1968年、ハード・ロック・バンドのゼファー(Zephyr)のギタリストとしてプロ・デビューを果たす。3年間在籍した後、エナジーというバンドに移籍。さらにエナジー脱退後の1973年、フルート奏者のジェレミー・スタイグの紹介により、ビリー・コブハムのアルバム「スペクトラム (Spectrum) 」に参加し高い評価を得る。

その後、商業的に成功していたアメリカのバンドジェイムス・ギャング (James Gang) に、ジョー・ウォルシュの後任として参加。これにより、トミー・ボーリンの名前が一般的なロック・ファンの間で広く知れ渡るようになる。1974年7月にジェイムス・ギャングを脱退した後、セッション活動の傍ら、自身初のソロ・アルバムである「ティーザー(Teaser)」の製作を開始する(同アルバムの参加ミュージシャンにはボビー・バーグ、スタンリー・シェルダン、ジェフ・ポーカロ、フィル・コリンズ、ヤン・ハマー、グレン・ヒューズ、デイヴィッド・サンボーン、ナラダ・マイケル・ウォルデン等、後年音楽シーンで活躍するメンバーが名を連ねている)。

1975年6月、イギリスのハード・ロックバンド、ディープ・パープルに、リッチー・ブラックモアの後任ギタリストとして加入。その経緯はドラムのイアン・ペイスの自宅にジョン・ロードが赴いた際に聞いていたビリー・コブハムのアルバム"スペクトラム"収録の、"Quadrant4"でトミーが演奏していた猛烈なギターソロに衝撃を受け、加入を打診したという有名なエピソードがある。アルバム「カム・テイスト・ザ・バンド」(Come Taste the Band)を発表した後ワールド・ツアーにも参加するが、1976年7月にディープ・パープルは解散。

その後は自らのバンドを結成し、2枚目のソロ・アルバム「プライベート・アイズ (Private Eyes)」を発表する。

1976年12月4日、ジェフ・ベックのツアーの前座として参加していた時、フロリダ州マイアミのホテルにて死去。25歳。

死因は、麻薬の過剰摂取 (いわゆるオーバードーズ) であると発表された。麻薬常習者であった彼の身体異常は、ディープ・パープルのツアーの時点で既に表面化しており、ラスト・コンサート・イン・ジャパン (Last Concert in Japan) では(後に東南アジアでの悪質なヘロインの摂取が原因だと判明する)手と指の麻痺によってボトルネックギターしか演奏する事が出来なかったと言われている。近年ではアルバムの再発などによって再評価する声があるが、当時はこれらの件のために、「ディープパープルを解散に追いやった下手くそギタリスト」の烙印を押されてしまう他、ソロアルバムでのジャズとロックの融合もジェフ・ベックが美味しい所を持って行ってしまう等、最近では「悲運のギタリスト」と呼ばれることもある。

ウィキペディア(Wikipedia)より

by kouji_kotani | 2009-04-18 00:16 | Comments(0)


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