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2014年 06月 01日

田毎の月

俤や姨ひとり泣く月の友
(おもかげや おばひとりなく つきのとも)




この句の句意を理解するには
田毎の月を思い出さないと
全く理解できません。






棚田がある。
棚田は石を積んでつくった田んぼだ。
段々になった田んぼだ。
つくるのにたいへんな手間がかかったが
耕作地を増やしたいので
棚田をつくった。
わざわざ棚田をつくるのは
立地条件が悪かったからだ。
姨捨は今の長野県にある。
豊かな場所ではなかったから
棚田をつくった。


その棚田に、夜になると、月の光が、さす。
棚田ひとつひとつに照り返す。
夜の棚田の月の光。
それが田毎の月のことだ。


姥捨山に来た松尾芭蕉は
棚田にうつる月の光を見た。


田毎の月を見た。


田毎の月を眺めて
独り泣いていた姥の姿が浮んだ。



芭蕉は
門人に自信作として
この句を語った。

それはどういうことかと言うと
長野県姨捨で見た田毎の月は
美しかったということだ。


若い息子が妻にそそのかされて
老母を姨捨山に捨てようとするが
姨捨山に出る月の美しさに目が覚めて、母を連れ帰った。



おそらく棚田をぐるぐると歩いたのだろう。
歩く度に、
棚田の、田毎の月が、表情を変わって
見えてきたのだ。

田毎の月を見て
母親のこと、幼い頃の母親のこと、
老いてからの母親のことを
思い出した。
田毎の月が
母親を思い出す牽引になった。



里、野良、野辺、里山、奥山とある。
奥山には、神がいる。
母親を捨てようとしたのは野辺か。更に奥の里山か。

野辺送りと言う。
野辺には墓がある。
里から離れた場所。
更に奥の里山か。
里山の先は
神の領域だ。


母親を捨てようとしたが
母親のことを思い出し
こころあらためた。
そこには
田毎の月があった。














写真のない時代だから
句を使って田毎の月を写すしかない。
泣く母親、棚田、田毎の月、写り変わる月の光、思い返す母親の思い出。
しんしんとした夜。


それが田毎の月の句意。
句意は伝えたくて仕方ない美しさの事だ。

by kouji_kotani | 2014-06-01 05:23 | Comments(0)


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