人気ブログランキング | 話題のタグを見る

いいたいことは少しある

seiyaku.exblog.jp
ブログトップ
2014年 08月 28日

カーネーションのヤマ場

再放送のカーネーションも
大きなヤマ場を迎えています。



大きなヤマ場といっても
問題が解決したり
和解したり
人間関係が修復したり
というような
ヤマ場を迎えているわけではありません。




時間の経つスピードがどんどん上がっていき
時間と時間との間のすき間が増えていく。
何もかかれていない日記帳の白いページが
増えていく。
洪水のように時間が流れる。


ところが、
白いページの中に
ところどころ綴られたページがある。





このひとはまだ在命しているんだとか
歳はとったけどあまり変わらないなとか
時間と時間の埋め合わせをするのは
観ている側が行う作業になります。



その埋め合わせ作業をしている間も無く
時間はどんどん先に先に進む。
そんなヤマ場なのです。





急展開していきますよ
という構成が
ヤマ場であることを示しています。




そんなヤマ場は
はじめて観た
気がします。








あまりに早い時間の流れのなか
白いページだらけのなかの日記帳に
ところどころ綴らているのは
日常風景と別離と過去のどれかです。



日常風景に対する気持ちの持ち方や
日常風景にひそむ別離の哀しみ。


シンの強い主人公はあらゆるものを
受けとめていく。


あまりの哀しみ対しては泣く。

泣くという受けとめ方をする。



白紙だらけのページに
僅かに綴られたのは
そんなことです。





泣くということの救いが
泣くということの美しさが
泣くということの時間の流れ、時間の
無常に対抗する様が
綴らている。






ひとの哀しみを受けとめて泣く人を見て
見ている僕も泣く。




ややこしいけども
泣いている僕が僕を愛おしくなる。
何を。
カーネーションで綴らた
美しさを反芻している僕を。




泣くという行為は
感傷的という類ではなくて
水が必ず必要なように
泣くという行為も必要なんだ
とも思います。

by kouji_kotani | 2014-08-28 06:15 | Comments(0)


<< 伸びやかな気持ち      Eddie Higgins Trio >>