僕は文学部卒ですが
かつて学校に通っていた頃
君たちは虚学を学ぶ
無用の用を学ぶ
虚学と実学に優劣はない
と教えられた。
確かにそう思う。
が、虚学って
どこかしら
まがいものな感じがしたことを
覚えています。
化学を勉強した人間は
ゴムパッキンを撫でながら
元素記号の組合せを
考える。
工学を勉強した人間は
柱のない体育館の
モーメントを
考える。
医学を勉強した人間は
抗生物質の
抗菌の危険性を
考える。
実学が全然上で
全然チカラがあると
今でも時折
思います。
虚学である文学部が
格闘していた問題とは
■言葉というシステムを幼い子がどうして習得できるのか
■想像力で、経験した事以外の事を
想像できるか
■意識をうまく表現できるのか
■なぜAという人の物語を読んで、
読んでいるBがあたかも自分の事のように感じてしまうのか
個人的な話が普遍性をもつのはなぜか
こんな事だった気がする。
もう相当忘れてます。
僕はぼーっとして
字がきれいにかけますね
と褒められた生徒なので
エラソーに何も言えません。
数字扱うのがイヤで
文学部に入学したのに
今は数字を扱い
あーだこーだ
考えているのも
不思議な気もします。
虚学などを習うのは
ひねくれ者なんだと思います。
先日、山手線に乗っていたら
ベビーカーに乗った
小さなこどもと
目と目があいました。
じっと見つめてくるので
あばばばば
と微笑みの
誘導を試みました。
すこしだけ
目が笑って
かわいいなあ
と思いました。
この
あばばばばとこどもの微笑みのあたたかさ
は
文学の端緒
虚学に通じているのかも
しれません。
虚学もすてたもので
ないのかもしれません。