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いいたいことは少しある

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2016年 09月 08日

走れメロスと走ったメロス


どうでも良いことなので
読み飛ばした方が
良いような事を
書きます。

走れメロスという短編小説がある。
走ろうメロスではない。
走るメロスでもないし
走ったメロスでもない。

小説のお話の流れから考えると
走れメロスが
走ろうメロスでも
走るメロスでも
走ったメロスでも
決定的な失敗ではない
と思うのです。

ちょうどジーンズを
買うにあたって
サイズ違いは致命的な失敗だが
デニムの生地や肌触りや
ジーンズの形
裾の折り返しなどは
ジーンズの機能を
損なうものではない。

走れメロスでも
走ろうメロスでも
走るメロスでも
走ったメロスでも
なにか決定的にダメだという
ことに帰結するものではない
と思うのです。

タイトルのつけ方は
肌触りにも似て
決定的絶対的なものではない。

でも
走れメロスは
やはり
走れメロス
なんだと思う。

この
決定的絶対的なものではないが
そうでなくてはならないものを
あれやこれや考え
大切にして

やはり走れメロスだな

と決定づけることは
存外重要なことだと
思うのです。

機能のミスではないが
決定的絶対的でもないが
しかし
そうでなくてはならないもの。

肌触り的なものは
空間で言えば
空調や質感や温度、湿度など
を含めた全体なんだろう
と思います。

機能のミスではなく
決定的絶対的でもないが
しかし
そうでなくてはならないもの。

それを考えて
カタチにしていく
存外大切なことなのでは
と思うわけです。

そんな感じです。

by kouji_kotani | 2016-09-08 17:17 | Comments(2)
Commented by cocomerita at 2016-09-12 15:33
Ciao kouji さん
激しく 同感です
そして 私個人で言うならば 肌さわり的なものの重要性のが 圧倒的に 他を上回ります
むしろ、それだけで生きてる みたいな感さえあります 笑
Commented by kouji_kotani at 2016-09-12 18:13
同感していただけてうれしいです。考えてみると、タオルとかシャツとかは、肌さわりが良くなければ、どんなにタオルとしての機能、シャツとしての機能を満たしていても、ダメだと言い切れますよね。肌さわり的なものの重要性は、常に忘れてはいけないのでしょうね。


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