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いいたいことは少しある

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2016年 01月 30日

ッシャ!

 
ッシャ!
という気持ちになる時が
無いわけではないが
ッシャ!
という気持ちになる時が
減った気がします。

思い返してみると
ッシャ!
というハードルが
幼い頃はとても
低くかったんだと
思います。

テレビから好きな歌手の
好きな歌が流れて
黒柳さん〜と
叫んでいるのを見ているだけで
ッシャ!
という気持ちになっていた。
簡単にッシャ!となる訳です。

最近はどうなんだろう。
湖水の葦が
静かに佇むように
ッシャ!となる機会が
めっきりへってしまって
静かな感じがします。

好きな音楽を
聴いていると
少しだけ
高揚しますが
ッシャ!迄には
至らない。

今、Appleストアで買った
キース・ジャレットの
マイソングを聴きながら
これを書いてます。

ひとつある。
ひとつあるなあ
ッシャ!。

ひとつあります。

飛行機や新幹線で
東京に戻って来る時
東京の夜景を見ていると
ッシャ!
という気持ちになる。

ホームベースに戻る
心良さなのか
休まずに灯るビルの
きらめきが綺麗だからか
道路を走行する車の流れに
躍動感を感じるからか
待っていたよ
と言わんばかりの
東京の風景を見ていると
ッシャ!
という気持ちになりますね。
少し切ない気持ちも混じって
ッシャ!
となります。


by kouji_kotani | 2016-01-30 19:28 | Comments(0)
2016年 01月 30日

小走り


大阪から東京に戻っています。

今朝方
スマホで音楽を聴きながら
朝早い御堂筋線に
乗っていました。

イヤホンをしていると
御堂筋線の車内の様子が
サイレント映画になります。

女の子ふたり、男の子がひとり
搭乗していました。

ふたりがカップルで
ひとりがお友達。

サイレントであっても
しかも
こんな僕ですら
女の子ふたりと男の子のひとりの
人間関係の状況が
分かるから
不思議といえば不思議です。

人間本来に付与された
知覚や洞察は
たいした
もんなんだろうなあ
と思います。

カップルに付き添っている
ふたりの女の子のうちの
ひとりが
ニットキャップを外して
一生懸命に話をしてました。
盛り上げ役なんだろう。

梅田で
たくさんの人が降車したので
女の子のふたりと男の子ひとりが
座席を取りに移動した。

カップルにカップル席を
譲るカタチで
女の子ひとりは
向かいの席に
小走りに移動した。

むかし、ヤングオーオーで
西川きよしや月亭八方らが
小走りにステージを
移動していたのですが
そんな感じの
小走りだったのです。

手をたくさん振りながら
歩幅はたいへん短くして
走っていまっせーという
表現なんです。

ヤングオーオーから
はるかな時間が経過して
今も
そんな様が御堂筋線で
見れたのは
ちょっとびっくりした。

それは伝統なのかな。
無形伝統。

そんな事を思いました。

by kouji_kotani | 2016-01-30 08:10 | Comments(0)
2016年 01月 27日

雪のひとひら

ブログも
ずっと書かなければ
書かないままで
ずるずるきてしまいましたので
今日は
無理くりにも何か書きます。

過日、長野に行ったのですが
車で
長野のあちこちを移動している間
雪が舞っていました。

桜が散るようにも見えたし
ホタルが飛び交うようにも見えたし
虫の群生にも見えたし
しかし実のところは
雪が舞っていたのでした。

舞う雪を見て
僕は
雪のひとひらだあ
と思ったりしました。

雪のひとひら
という言葉は
良いのです。

僕はevernoteのタイトルに
雪のひとひら
とつけてます。

evernoteを開く度に
我ながら
ステキな名前だと
思ったりします。

墨汁と半紙があったとして
雪のひとひら
と書き下ろしたら
さぞかし
気持ちの良い書跡に
なるだろうなあ
とも思います。

雪のひとひら

という言葉が好きなのには
これといった
理由を思い当たらないのですが
青いカーディガンが
僕は好きなのですが
なぜ青、なぜカーディガン
という問いに
これといった
理由が思い当たらないのと同じで
好きなものは好き
としか言えません。

雪のひとひらとは
雪の一粒の意味ですが
その意味するところが
好きなのではなくて
雪のひとひら
という言葉そのものが
好きなのです。

雪のひとひら

やっぱりいいですね。
いい。
きれいで凛とした
言葉ですね。

と、
無理くり書きました。

by kouji_kotani | 2016-01-27 01:44 | Comments(0)
2016年 01月 12日

退色


小さな子どもを見ていると
あっちに行ったり
こっちに行ったり
壁を叩いて遊んだり
音を鳴らして遊んだり
休む間も無く
慌ただしい。
しかも常に
周りの反応を気にして
喜んだり泣いたりする。

小さな子どもから
少し大きな子どもに
少し大きな子どもから
大人に
誰もが歳を重ねていくわけなんだけども
歳を重ねても
相も変わらず
慌ただしいのは
変わらない。

あっちに行ったり
こっちに行ったり
目論見通りで喜んだり
目論見が外れて愕然としたり
ケンカしたり
仲を戻したり。

歳を重ねてくると
少しオマセになるから
こだわりを
持つようになったりする。

昨年着ていた服は
今年は着れなくなったりする。

時間が経つと
恥ずかしくなるのは
服だけでなくて
表現もそう。

何かを表現する事は
時間経過にさらされて
色が退色していく。

勢いでやってしまったという
恥ずかしさと後悔が混じる。

小津安二郎などは
表現の恥ずかしさから
少しでも恥ずかしくないように
用意周到な準備をした
映像作家だと思う。

だから、
小津安二郎はいいんだよね
と観る側も
安心して語れる。

デビッド・ボウイは
素直に表現をした人だと思う。
その時々の美しさを
表現した人だと思う。

素直なリスクを
知らないわけはないと思える。

時間にさらされて
退色して
恥ずかしくなっていく事くらい
わかっていた気がする。

作家には
小津安二郎のような
用意周到の人と
デビッド・ボウイのような
計算高くない人と
ふたつあると思える。

出張先のホテルで
これを書いています。
東京は初雪が降った日。

出張先も雲天だったのですが
窓から福音のように
やわらかな日差しが
差し込んできました。

by kouji_kotani | 2016-01-12 13:43 | Comments(0)
2016年 01月 02日

懐古の中の文化


毎度毎度の
季節感のない駄文で
今年もよろしくお願いします。

帰省すると
昔買った本やレコードが
あります。

時間が経っているので
文庫本は
退色していて
状態は良くないワケです。

それに比べると
レコードは
圧倒的な存在感がある。

レコードジャケットを
手に取ると
こんなに大きいんだと
あらためて
思いますね。

レコードジャケットの
ようにかさばるモノは
自分の部屋に置くというよりも
自分の部屋に据え置くという感じ。

大げさに言えば
ビールケースを
よいしょと
据え置くのと
変わらない気がします。

そのくらいに
存在感が
レコードジャケットには
あります。

レコードには
A面とB面があり
面を裏返すというのは
映画で言うと
インターミッション
みたいなものだと
思います。

インターミッションが
あるというのは
時間をたっぷりかけて
音楽と向き合ってたんだと
思います。

かさばるモノを
十代の頃から手にして
インターミッションを含む
時間の感覚に
気持ちを重ねながら
音を聴く。

十代でありながら
レコードを通じて
ずいぶん刺激的な
体験をしていたんだな
と思います。

スーズ・ロトロとディランが
手を組んで
マンハッタンを
歩いている
フリーホイーリンは
何回も書きましたが
アートワークが俊逸。

あまりにアートワークが
良いので
東京に持って帰りました。
絵を飾るように
レコードジャケットを
立てかけています。

フリーホイーリンのような
ジャケットを手に入れて
思いをはせる
事が出来たのは
レコード文化だから
なんだろうなあ
と思います。

濃度の濃い文化が
懐古の中にしかないのは
少しだけ
寂しい感じもします。

by kouji_kotani | 2016-01-02 14:35 | Comments(0)