人気ブログランキング |

いいたいことは少しある

seiyaku.exblog.jp
ブログトップ

<   2018年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧


2018年 05月 29日

26年前ということ

1992年は26年前だ。 




先日

大学の時の友達と

お寿司を食べながら

10年前も2年前も

区別がつかない時がある

という話をしたら

そうそうと

盛り上がった。




26年前といえば 

相当に長い時間だけど

つい最近の事に思えてならない。




1992年にリリースされた

君がいた夏という

曲があって


Spotifyで聴いていたら

しみじみと感じいってしまった。  




音楽は栞みたいに

過ぎた時間に

しるしをつけて

過ぎた時間を

思い出してくれる。


1992年という年が蘇り

1992年の感触を思い出すものの

26年前の青空も

今見る青空も

ほとんど区別がつかないように

過去と現在の区別は

あんまり無い気もする。




そんな感じです。



by kouji_kotani | 2018-05-29 23:24 | Comments(0)
2018年 05月 05日

打ち水と夕陽

したゝかに水を打ちたる夕ざくら




久保田万太郎の春の句。




したゝかに

は程度が激しいという意味。




水を打ちたる

は暑さをしのぐために

打ち水をしたという意味。




激しく打ち水が行われた。




打ち水の行われた場所は

屋敷町の路地だと思う。




路地が水に濡れ

涼を求めて

打ち水が行われても

残念ながら

かすかに風が吹くか

吹かないか

そんな様なんだと思う。



春は穏やかな季節ではなく

もう充分に暑い。




夏も暑いが

春も春で

もう暑い。




夕ざくら

は夕陽を浴びた桜。




したゝかに水を打ちたる

で句切りがあるので

夕さくらは

したゝかとは

真逆で

微動だにせず

静かにたたずんでいる

そんな情景なんだと思う。




静かにたたずみ

夕陽を浴びて

桜の花弁が

赤く染まっている。




桜色に

夕陽の赤い色が重なる。





桜色と赤い色の

重なりが

この句の味わい

だと思う。




打ち水は機能せずに

屋敷町の路地を

濡らしているだけ。


春らしい

気だるく

むし暑い

夕暮の情景だ。




久保田万太郎は

少し酔いながら

この句を詠んだ

のかもしれない。




桜はとうの前に散った

この連休は

初夏のように

暑かった。




僕はテニスに明け暮れ

打ち水はしなかったが

何度も

水を飲み

何度も

お風呂に入った。




顔は墨みたいに

なってしまった。



by kouji_kotani | 2018-05-05 20:01 | Comments(0)