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いいたいことは少しある

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2022年 08月 29日

夏休みを使って


夏休みを使って
是枝裕和監督作品を観た。
Amazon primeで観た。

最初に海街diaryを観た。
次に
そして父になるを観た。
海街diary
は先月の夏休みを使って観た。
そして父になる
はお盆に観た。

是枝裕和作品を
ひとから薦めてもらったことがあって
それから
ずいぶんと経って
やっと作品を観ることになった。

僕は
細雪の贔屓のひきだおしなので
海街diaryに出てくる
三姉妹に
妹が出来るという設定だけで
沁みるように観てしまった。

そして父になる
は親子の話だ。
親が子供を抱きしめる場面が
いくつかあるし
髪を撫でる場面もある。

是枝裕和作品を薦めてもらって以来
何年も経ってしまった。
何年の間にはいろいろな変化があった。
世の中にも僕にもいろいろな関係にも。
そんなことを観ながら考えていた。

短期間の変化を飲み込み
長期間の変化を信じて
生きるひとには
包容というか思慮深さがある。

包容という懐の深さで
包まれるということは
抱きしめられることと同じだ。

そういうことを考えながら観ていた。

そして父になるは
抱きしめるということを主題とした
映画だと思った。
生きている鼓動を感じるには
抱きしめて添うことで
はじめて可能となる。
そんなことも思った。

海よりもまだ深く
も観た。
清瀬が舞台の作品だ。

どの作品も作風が安定していて
飽きさせるところがない。
作風の安定は
まるで新潮文庫の100冊の作品のように
ハズレがないということだ。

新潮文庫の100冊のように
安定した是枝裕和監督作品は
夏休みにふさわしい作品だと思った。

# by kouji_kotani | 2022-08-29 18:05 | Comments(0)
2022年 07月 02日

生徒手帳


生徒手帳を拾った。
今朝がた参拝に向かっていたら
神社近くの道端に生徒手帳が落ちていた。

深い緑色のカバーで
裏側は透明のプラスチックシートがあり
台紙には
名前と中学校と中学校の電話番号が
印刷されていた。

持ち主の名前や住所などを
記入する奥付があるのだが
なにも書いていなかった。

深い緑色のカバーは懐かしい色だった。
こんなに深い緑色は
何十年も見ていないような気がした。

生徒手帳をぱらぱら見ていたら
自転車に乗ったお巡りさんが
向かい側から向かってきた。
暑さのせいか蛇行しているように見えたけれども
神社の前の凸凹の道を
ゆっくりと巡回走行しているから
蛇行しているように見えたのだと思う。

お巡りさんに拾った生徒手帳を
託そうかと思ったが
自分で中学校まで届けようと決めた。
でかける時間が迫っていたけども
手際よく進めれば
生徒手帳を届けおえると思い
電動チャリに乗って中学校まで向かった。

正門の片側が空いていて
校舎の一階は灯りも無くひとけも無かった。
職員室にひとりだけ登校している
先生がいたので
生徒手帳を手渡した。

必ず当人に渡しますと
何度も頭を先生が下げたので
恐縮をした。

中学校の正門を出ると
中学校のプールの腰壁が見えた。
プールのそばに伸びているクスノキから
蝉の鳴き声が聞こえた。
学校周辺にも懐かしい空気が漂っている
ような気がした。

# by kouji_kotani | 2022-07-02 13:32 | Comments(0)
2022年 06月 29日

Creedence Clearwater Revival



# by kouji_kotani | 2022-06-29 01:11 | Comments(0)
2022年 06月 12日

シンドラーのリスト再び



# by kouji_kotani | 2022-06-12 19:56 | Comments(0)
2022年 06月 12日

シンドラーのリスト再び


シンドラーのリストをAmazon primeで観た。
理由は泣きたいと思ったからだ。

僕はシンドラーのリストを何回も観ていて
その度ごとに号泣してしまう。

今回も泣いてしまったし最後は号泣した。
そもそも日常で号泣することなど
ずっと無い。
泣くことすらあんまり無い気がする。
シンドラーのリストを観ると号泣してしまう。
号泣するとかさかさしている自分の心持ちが
少しだけ回復する。

自分の心持ちの回復を求めて
泣きたいために
シンドラーのリストを観直した。


シンドラーが自分の工場で働いている
ユダヤ人をチェコに連れ出す。
買収して連れ出す訳なのだけども
ひとりひとり名前を読み上げて
救済するひとのリストをつくる。

それがシンドラーのリストだ。


名前はひとりの人間であることの証だ。
私はユダヤ人である
というのは属性を伝えているだけだ。
シンドラーは属性としてのユダヤ人を助けたかった訳ではない。

自分の知っている彼と彼女とあいつとあのこと
こどもとおじいさんとおばあさんと
きみときみときみときみを救い出したいのだ。

そう思ったら泣けてきた。

ドイツが無条件降伏したとき
ユダヤ人たちからの署名の入った手紙を
シンドラーは受け取る。
シンドラーはけっしてユダヤ人を虐待していない
その証として
ひとりひとりの名が記された手紙を受け取る。

ひとりの人間がひとりの人間と対峙する。
そこもとても良いシーンだと思った。

そんなことを考えながら
シンドラーのリストを再び観た。





# by kouji_kotani | 2022-06-12 19:12 | Comments(0)